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10月24日
今年の秋は湿っぽいトスカーナです。
とにかく雨が多い。
8月・9月が期待に反して太陽の少ない月で、10月こそはいいだろうと思っていましたら、それも全く裏切られ、そのまま湿った秋に入ってしまいました。
例年でしたら9月、10月はそれこそ青空の広がる暑くもなく寒くもない素晴らしい時期なのですが、そう信じ込んでいた私たちをあざ笑うような曇り空が毎日続いています。
旅行者もしかりで、暑い、そして子供の多い夏を避けて秋に旅行に出る人は多く、今年も9月中旬から10月にかけてどの街も団体旅行者で溢れかえっていますが、みんな傘を差して濡れながら歩いているのを見ると本当に可哀想になります。
旅行者で多いのがアメリカ人。
アメリカという国はいろんな国籍の人が集まって出来た国で、イタリア人の先祖を持つアメリカ人達は自分の原点はどんなところだったのか確かめにイタリア旅行へ出かけてくるようです。
勿論、先祖にイタリア人の家系を持たないアメリカ人でも生活様式が全く違うヨーロッパには大変興味を持つようです。
他に目・耳にする旅行者はフランス人、ドイツ人、オランダ人が多く、オーストリア人、ベルギー人、イギリス人の車もよく見かけます。
遠くではノルウエーからのキャンピングカーなども見ることがあり驚かされます。
陸続きの便利なところです。
もちろんイタリア人旅行者も多く、ミラノ、トリノ、ローマ、更に南イタリアからのカーナンバーを目にします。
トスカーナはイタリアの中でも穏やかで食事とワインの美味しいところと知られており、勿論エトルリアから古代ローマ、そして中世の建物、芸術も重要な歴史を残していますので、美味しい物に興味のある中年から芸術や歴史に興味のある若い人たちまで、それこそ郊外まで足を伸ばして観光にやってくる人たちは後を絶ちません。
日本人団体旅行者はとにかく忙しくて、1週間で3カ国ほど周わる強行日程が組まれている観光が多く、トスカーナはフィレンツエ観光だけ、せめて見かけるのは世界で一番美しい広場のあるシエナまでで、郊外まで出てくる団体旅行者は殆どいません。
トスカーナと言えばあの糸杉の並ぶ柔らかい丘陸が特徴ですから、それを見ないでトスカーナを見たとは言えないように思いますが、まあ、それぞれの都合でそれぞれの旅行を楽しまれているのですから、それでいいのです。
トスカーナ郊外をゆっくりと見てみたいなあ、と思わる方は私にご連絡を・・・(笑)
と言うことで、私もご案内に忙しい日を過ごしていました。
9月、10月は日本では連休があり、それを利用した旅行者が多かったようです。
晴れたり曇ったりの日々でしたが、葡萄畑では葡萄を味見して頂いたり、秋の味覚のポルチーニやトリフュを味わって頂いたりしました。
ワインを作る葡萄の実がとても甘いのだと言うことをご存じない方が多く、味見をされた方は驚かれます。
私もワインを作る葡萄は特別な味がする(美味しくない)のだと思いこんでいて、初めて味見をしたときに食用の葡萄のようにジューシーで甘いのには驚いたものです。
葡萄の収穫が終わった後に来られた方には葡萄畑の紅葉を楽しんで頂きました。
今年の湿っぽい気候のため少しぼーっと霞んだ色とりどりの葡萄畑は、それはそれで美しいものです。
同じ葡萄畑で葡萄の葉の色づきが違うのは、違う葡萄の種類だからなのです。
詳しい人は葡萄の紅葉を見ただけで、どんな種類なのか言えてしまうのでしょう。
11月に入るとトリフュのお祭りがあります。
一度こちらに来られた日本人旅行者に聞いたことなのですが、日本のイタリアンレストランではトリフュ料理を頼むとウエイターがトリフュと削り機を持ってきて客の目の前で削ってくれるのだそうです。
でも、その時のひと削りが1000円もする時があるのだとか!
こちらで出てくるトリフュの料理にはトリフュが山のようにかかって出てきますが、それを見るたびにこの話を思い出します。
トリフュ好きの方には是非こちらでトリフュを食べて頂きたいものです。
先週はアグリツーリズモで家庭料理を習われた方がいました。
日本でもイタリア料理教室に行かれたそうですが、本場ではどんな風に作っているのか、どんな味がするのか知りたくて、優しいご主人に送り出してもらったようです。
肉とポルチーニの料理があったのですが、その時アグリツーリズモの人たちが自分たちで採ってきたポルチーニを使うことになって、彼女は大喜びでした。
また彼女は時間の空いたときに「ワラビ餅」等の日本菓子を作られて、アグリツーリズモのスタッフや夕食で同席したお客さんたちに振る舞い、わいわい楽しく過ごされたようです。
こういうときには大して言葉はいりません。
ジェスチャーとハートがあれば通じてしまいます。
さて、今年のように薄ら寒い秋の季節になると私はいつも思い出すことがあります。
それは私が中学1〜2年の頃のことです。
あの頃の中学1〜2年というととても子供でした。
どういう知り合いだったのか、両親の知り合いに山間のピクニック場におでんのお店(バラック)を開いている人がいて、ある日曜日に私一人でそのお店を手伝いに行くことになりました。
その人たちの記憶は全くないので、その当時も私は彼らのことは余り知らなかったのではないかと思います。
その時、手伝いに行くお駄賃を貰ったのかどうか今はもう覚えていませんが、とにかく早朝その知り合いの夫婦の車で私の知らない山間のピクニック場に連れて行かれたのです。
木立の多い山間で、谷間に水が流れていました。
夏は涼しいのでしょうが、秋になっていたその時は薄ら寒かったことを覚えています。
殆ど知らない人たちと、知らない土地にきている不安感もあったのかもしれません。
到着してからおでんの用意や3つほどあったテーブルの用意をしていると、お昼近くになり、少しずつ散歩客たちがやってきました。
大人はビール、子供はジュースなどを頼み、そしておでん各種を頼みます。
オーダーを受けるのは私の役目で、それを知り合いのおばさんに伝えます。
皿に盛られたおでんを客に持って行くのも私の役目でした。
客がどんどんと店に入り始め、テイクアウトの人も増えて私はだんだんと忙しくなりました。
さて、いつも思い出しては心のどこかがキュンとなるのがここからなのです。
客の支払いを受け取るのも私の役目だったのですが、算数の強かった私もあまりの忙しさに、客が何を食べたのか、そして勘定はいくらになるのか頭の中が真っ白になり分からなくなってしまったのです。
えーっと・・・と困っている私にお構いなしに別の客からも勘定をせがまれて、私はとうとう適当に勘定を言ってしまいました。
だってそれぞれの家族が食べたおでんの種類を全部覚えているなんてちょっと慣れない人には出来る事ではありません(・・っと、今では言えるのですが)。
ほんの数人だったと思いますが、適当に料金を貰って日は過ぎていきました。
適当にやってしまった、と言うことと夕暮れ時の薄ら寒さが身体にしみて家に帰り着くまで 私の心はうつろでした。
弟が一人いるいつもお行儀のいい良くできたお姉ちゃんというイメージを私はつけられていましたので、この適当にやったという行動が、どうしようもないミステイクとして幼い私の心に暗い影を落としてしまったようです。
家に着き両親の顔を見たとたんに、暖かさで身体がフワッと溶けていくようでした。
この時のことがよほど身に染みたのでしょう、それから大きくなっても時々この事を夢に見る事がありました。
今、夢はもう見ませんが、でも秋になって何となく薄ら寒くなるといつもこの時のことを思い出します。
と同時に若かったときの両親の顔も思い出し、ちょっぴり心が痛むのです。 |