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トスカーナ日記

5月14日

イタリアの自転車競技「ジーロ・デ・イタリア」が始まりました。
今日の日曜日はサルディニア島でしたが、気温は30度とか。
5月なのに真夏のようです。

私の住んでいるトスカーナも夏日よりです。
トスカーナ日記ではもう随分前から「夏のようです」と書き続けていますが、それでも丁度5月の連休が始まった途端に1週間お天気が崩れ、待望の雨も降ってくれて地元のみんなを喜ばせてくれました。
ただイタリアへ旅行に来られた方達には余り面白くないお天気だったことでしょう。

その1週間が終わった途端、又以前のように素晴らしいお天気が戻ってきました。
今、木々は緑濃く、平野には赤いポピーの花が青い麦畑の中に色鮮やかに咲き乱れています。
毎年観るものですが、飽きません。
そして蛍もふ〜わ、ふ〜わと、と言いたいところですが、やはり暖冬のせいでしょうか、チカチカチカチカと既に沢山飛び始めました。
昨晩、大家さん夫婦とその孫のエミリーと一緒に谷に降りていき、エミリーには初めての蛍見物となりました。

一つ、二つではなく、オリーブの木の周りや草の茂みの間にクリスマスツリーの飾りのように光り輝きながら飛び回る蛍は本当に感激ものです。
それは綺麗。
2歳になるエミリーも大変な喜び方。
きゃー、きゃー言いながら追いかけていました。
蛍はふ〜んわりと飛ぶので簡単に手でつかめます。
それをエミリーに渡してあげると、彼女は興奮のあまりに声が裏返っていました。
こんな蛍が観られる私達は本当に幸せです。

暖冬のお陰で、チェリーの実も早くから赤く色づき始めました。
友達のアイルランド人一家がトスカーナに買った家の庭にはチェリーの木が10本近くあります。
彼女たちがこの家を利用するのは冬に1週間、夏に3週間、秋に1週間と言う程度で、後はいつも空き家です。
丁度チェリーの実がなるときも彼らはこちらに来ることが出来ず、私達に採って食べてくれと言ってくれました。
沢山食べて、沢山ジャムを作ろうと私は今から楽しみです。

スイスでの会社勤めを辞めてトスカーナにやってきた私達には連休も、土曜日も日曜日もありません。
というか、自分達で仕事をしているので休みたいときに休めます。
日曜日でもPCに向かって仕事をしたり、ガイドをしたりすることもあれば、平日海に行っての〜んびり、する事もあります。
就業開始時間というものがないので好きな時間に起きる事ができます。
これ、最高です。

会社勤めをしたことがあるからこそ、この時間に縛られない自由な生活がどれだけ素晴らしいか分かるというものです。
ボスもいなければ部下もいない。
最高、最高。
ただ、やるべき事はあるのでボーっとしてはいられない。
これも最高です。

私達が去年の11月に日本へ行ってから、旅行らしいものは私の誕生日にラツィオにある「法王のテルメ」へ行ったくらいです。
そろそろ旅行に出かけたいなぁ、と私のお尻がむずむずし始めました。
私は本当に心底Vagabond(風来坊)のようです。
丁度いい具合に、私達の車の車検が今年じゃないかと言うことになりました。

私達の車はスイスに10年ほど住んでいるときに買った最後のもので、ナンバーはまだスイスナンバー。
と言うことは、車検はスイスで受けないといけません。
一度だけなら外国でも出来ると言うことで、3年前にリボルノへ持っていきましたが、次回は絶対スイスで受けることになります(もし今年でなければ来年)。

それで何とも嬉しいことに、じゃあ、車検がなくても久しぶりにスイスへ行こうかと言うことになりました。
予定は7月。
夏のスイスは一番美しい時です。
家々の窓には花が咲き乱れ、森や野原は緑一色で野花が咲き乱れます。
アルプスも輝き、ハイキングには最高。
山のてっぺんの湖のほとりでランチなどをすれば、気分はすっかりハイジ?

なんて、余り可愛いことを言っても私には似合いませんが、とにかく夏のスイスは寒くなく、湖とアルプスの風景は絵葉書のようで、旅行には最適です。
10年ほど住んでいましたから友達も多く、彼らに会うのも又楽しみ。
イタリアにはない清潔さ、機敏さ、モダンさを楽しんできます。

ジョン・クロードと結婚する前にスイス人と結婚していた私は今でもずっとスイスパスポートを保持、使用しています。
ジョン・クロードはフレンチパスポート、私はスイスパスポートで、ヨーロッパ圏内に住むにはとても便利なのです。
スイスは私の第2の故郷です。

私が小さい時、確か小学校低学年のときでしたが、スケッチブックに良く絵日記を描いていました。
学校に持って行くわけでもなく、私が自分で描き始めたものです。
その絵日記に描いた(書いた)ことを2つだけ覚えています。

一つは、スイスは中立国で戦争をしない国だから、将来はスイスに住みたい、と言うものです。
私は戦争を知りませんが、でも怖いことだと言うことは分かっており、絶対に戦争のない国に住んで平和に暮らしたいと一人で切に願っていました。
その夢が15年ほど後に叶うことになろうとは、誰が思ったでしょう。
なにしろ1973年。
会社の社長しか外国に行かない時代でしたから。

もう一つの絵日記には「雨よ早く降ってくれ」と言うものです。
私は両親から水色のレインコート、傘、長靴を新しく買ってもらったのですが、なかなか雨が降らないため、せっかく買ってもらったものが使えないのです。
それで絵日記に買ってもらった水色のレインコート、傘、長靴の絵を描いて、横に「雨さん、早く降ってください。早くレインコートと傘と長靴を使いたいです。」と書いたのです。
弟がそれを見つけて「お姉ちゃん、こんな事を書いてるー」と、きゃっきゃっと笑っていたことを思い出します。
その時の弟の笑い顔、絵日記を置いていた勉強机、その部屋の様子が今でも目に焼き付いています。

その弟とももう話すことは出来ません。
甘えん坊だったので、あの世で両親と一緒に愉しくやっているでしょう。
私は・・、まあ、もう少しこの人生を楽しむことにします。
ジョン・クロードという尊敬する相棒と、心暖かい人達に囲まれて、第3の故郷になるかな?イタリアでの〜んびり、暮らすことにしましょう。