Kiyomi D.

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ピオンビーノ

Piombino

イタリアは今週、今年一番の暑さになっています。

暑い、暑いと先々週から言っていますが、今週は空気自体が熱気を含んでおり、各地で40度近く、もしくは40度を越した気温が続いており、イタリア全土ではフィレンツェが、ローマやナポリを抜いて一番暑いとか。
暑いのはイタリアだけではなく、全ヨーロッパで記録的な暑さが続いており、スイスの田舎では40度を記録し、雨と霧と寒いので有名なイギリスでも35度、フランスでは北のほうが南よりも暑い気温を表しています。
この暑さの為、イタリア、フランス、そしてポルトガルで大きな山火事が相次ぎ、広大な面積の森が炎に包まれています。
私もこの間、近くの山が燃えているのを目撃しました。
毎年夏になると、身近で何件か火事を見てしまいます。

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地球の温暖化がこの頃話題に上っていますが、でも地球は少しづつ変化をしているわけで、別に急にここ数年温暖化が進んだのではなく、地球の変化が少し目に見えてきた、身体に感じられてきた、というところのようです。
私が今住んでいる所は、その昔は海の底だったそうです。
土を掘り起こしていくと、貝殻がくっついた岩が沢山出てきます。
その海が干上がって、今の緑豊かなトスカーナになったのでしょうが、それが徐々に変化しており、そのうちイタリア、フランス、スペインは砂漠のような気候となり、スイスやドイツ、イギリスなどの北ヨーロッパが今の南ヨーロッパのようになる、という事をこの間TVで言っていました。
勿論、何百年後、もしくは何千年後の話でしょうけど・・・。

人生、変化しないものはないといわれますが、地球もそのひとつですね。

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さて、地球の温暖化の話題はこの辺で、もう少し身近な話では、とうとう私達の町でも水制限が始まりました。
何時から何時まで水が止まる、と掲示板やチラシでお知らせが来ているのですが、その何時から何時まで、というのが、これまたちゃんと守られていなくて、水が出て来るはずの時間に出てこなくて、もう止まる時間なのに、どんどん出てくる。
これはちょっと困ります。一応、こちらも水が止まった時の準備なるものがありますので、出てくるはずの時に出ないというのは、ちょっとショックでもあります。

この町の殆どの家やアパートでは、このような事態には既に慣れているようで、何処でも「緊急用水タンク」なるものが用意されており、水が出なくなると、そのタンクからオートマチックに水が出てくる、という、とてもいいシステムが取り付けられています。
市から水が出てくると、又そのタンクを満タンにする様になっており、こんな田舎で素晴らしいシステムがあるものだと感心しています。

さて、私達が住んでいるような郊外の一軒家はどうかと言うと、これはもう井戸が大変重要になってくるのです。

郊外に家を建てる時は、必ず井戸が作れるように水源地を探します。
ご存知ですか、木の枝を両手に持ち、敷地をゆっくり歩いていると、水がある所では枝がしなるのです。そこを掘っていきます。そして必ずそこから水が出てくるのだそうです。
これは、出きる人と出来ない人がいるようなので、私にその力があるのかどうか1度試してみたいと思っているのですが、まだその機会がなくて・・・。

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という事で、私達の家には井戸があり、市からの水が止まると、井戸水が家中に回るようなシステムになっています。
普段何も考えないで使っている水ですが、いったん止まってしまうと、どれだけ大変か。何か用事をしていて、ちょっと手を洗おうと思っても、蛇口から水が出てこない。困ります。
水がないとトイレも流せない、シャワーも使えない。料理ができない。鍋、皿も洗えない。
生活のリズムが完全に崩れます。
井戸があることで、神経質にならなくて済み、本当に助かっています。

さて、今日は美しいビーチ「カラ・ヴィオリーナ」から帰ってくる途中で寄った町についてお話しましょう。
その名は「ピオンビーノ」。
ここはエルバ島へ行く船が発着する大きな港町です。

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スーパーストラーダを出て、ピオンビーノの町へ向かうと、先ず見えてくるのが、赤と白のしま模様の煙突が何本もそそり立ち、赤さびた鉄鋼の建物が湾一杯に広がった港の、あまり近づきたくない風景なのですが、それを左に見ながら更に町の中へ入っていくと、歴史はエトルスカの時代までさかのぼる古い町が見えてきます。

紀元前にエトルリア人が住み始め、鉱物を掘り出していたため、サルデイニア島、コルシカ島、そしてエルバ島との行き来が盛んだった重要な場所です。
その為、12世紀にはピサの支配下に入り、17世紀にはフランスやスペインの支配下にも入りました。19世紀にはナポレオンの妹の支配化にも入っています。

古い町の地区にはいくつかの古い建物が並びますが、1番目を引くのが、「ピアッツァ・ボヴィオ」で、大きな広場が町の端からにゅっと、テイレーノ海に突き出しています。
普通、ピアッツア(広場)と言うものは町の真中にある物ですが、このピアッツァは灯台の役目をしていたようで、ピアッツァの先端には小さな灯台があり、目の前にはエルバ島が広がります。
この広場からはラッキーな事にあの可愛くない港は見えませんが、それでもエルバ島へ行き交う大きな白い船体の客船が海上に見え、その船を見ているだけでも何処かに行っているような、ウキウキした気分になってしまいます。

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さて、こうやって広場まで歩いている途中で、かなりの人達が白い小さな紙袋を持ち、中から何かを出しては食べているのを目撃しました。
食べるのが好きな私ですから、こう言うものはすぐに目に付きます。
あの白い小さな紙袋には何が入っているのかしら・・・?、とづうづうしく、食べている人の手元を覗いて見ましたら、なんと揚げ物が入っていたのです。
更に良く見てみると、いろんな揚げ物が入っているようで、フレンチフライや、イカのリング揚げ、その他小さな形の揚げ物が入っていました。
日本で言えば、たこ焼きか、そんな具合のスナックなのでしょう。
夕食前にこの当たりの人達は良く食べるようです。
私も猛然と食べたくなり、この町を去る前に「フリット・ミスト・揚げ物ミックス」のお店を見つけ、味見したのは言うまでもありません。
はい、とても美味しかったです。

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私達が行った時は、丁度魚祭りのようなものをこの広場でやっており、魚のフライの店や、貝とタコのアンテイパストの店などが沢山あり、広場の真中には長いテーブルとベンチがいくつも用意されていました。
この魚祭りは町の人達にとても人気があるようで、私達が広場から少し上がったところにあるレストランで夕食を食べている時も、沢山の人がぞろぞろと広場へ降りていくのが見えました。
夕食が終わって広場に行ってみると、あのいくつもあった長いテーブルは人で埋まっており、みんな仲良く肩を並べて食事をしていました。
ああー、私達もあのテーブルで夕食を食べれば良かったね、と後の祭ですが思ったものです。

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丁度その頃、夕日が水平線のかなたへ沈み始め、大きな真赤な火のボールが沈んでいく所を見ることが出来ました。広場にいた人達も、一瞬止まって太陽が沈んでしまうまでその水平線を眺めていました。
その時の全員の顔が、優しく微笑んでいて、静かないい雰囲気でした。人間が自然に帰る時は、なんて素敵な気持ちになるのでしょう!

夕日を見た後は広場を上がって、町の中へ入ってみました。
ブテイックが並ぶ通りには車が入れないように作ってあり、丁度風が出てきたこともあり、夕涼みに沢山の人出でした。
こちらでは殆どの男性が夏は半ズボンにサンダルです。若い人もお年寄りも、この格好。いいですねー。大好きです。
若い女性は今年のモードなのでしょうか、殆ど全員がビーチサンダルを履いています。これも今年は最高の履物です。

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