Kiyomi D.

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パリオの夕食会

cena di contrada siena

すっかり涼しくなったトスカーナです。
朝夕だけでなく日中もあのじりじりする暑さはもうなく、今日は晴天ながら少し風のある日で、日中気温24度。
美容院からの帰り、街の日陰をノースリーブで歩いていると肌寒く感じました。
夏も終盤ですね。

さて、8月が終わる前にトスカーナ日記に書いておきたいことがあります。
シエナで行われるお祭り「パリオ」については、トスカーナに興味のおありの方はもうご存知かと思います。
これはシエナにあるカンポ広場を10頭の馬で走る競馬のような競技なのですが、17地区ある中から10地区が参加し、子供も大人も大変熱狂するお祭りです。
パリオはマドンナに敬意を払う7月2日と聖母被昇天に敬意を払う8月16日に2回行われます。

10地区がパリオに出場し残りの7地区は自動的に次のパリオに出場することが出来るのですが、残りの3地区はくじ引きで決まります。
出場する10地区が乗る馬もくじ引きです。
それらが全てカンポ広場に建つプッブリコ宮殿で行われ、広場で団結を組んで発表を待つそれぞれの地区の人々はもうその時から大騒ぎ。
強い馬が当たった地区は拳を突き上げ大声で歌を歌いながら列を組んで地区に帰っていき、弱い馬が当たった地区は頭をたれてしずしずと帰ります。
シエナの人々はパリオと共に(の為に)生きていると言っても過言ではないのです。

それぞれの地区に教会があり、そしてその地区のパリオに関する全てのものが展示されている展示館もあります。
赤ちゃんが生まれると教会に行き洗礼を受けますが、シエナでは勿論その地区の教会で洗礼を受け、そして洗礼を受けたと同時に赤ちゃんはその地区のシンボルのスカーフ(旗)を首に巻いて貰い、正式にその地区の者だと証明されるのです。
地区のシンボルは全て動物が付いており、Aquila(首を2つ持つ鷲)、Chiocciola(カタツムリ)、Onda(魚と波)、Pantera(ヒョウ)、Selva(森林とサイ)、Tartuca (亀)、Civetta(フクロウ)、Leocorno(イッカク)、Nicchio(貝)、Valimontone(羊)、Torre(像)、Bruco(毛虫)、Drago(ドラゴン)、Giraffe(キリン)、Istrice(ヤマアラシ)、Lupa(雌オオカミ)Oca(白鳥)。
子供の時から自分はこの地区の者だという意識を持って生活し、それはパリオと共に成長しながら更に強くなります。
パリオが近づくと別の地区から来ている奥さんは子供を連れて実家に帰ってしまうドキュメンタリーをこの間TVでやっていました。
それだけ自分の地区を誇りに思っているのです。
ただ、相手の地区のことを悪く言うと大げんかになると言いますから、ひょっとしたら奥さん達は争いを避ける為に早々に逃げ出しているのかもしれません。

パリオがある前日は地区の住民全員が一緒に夕食をするのが習わしです。
大きな地区は1000人を越すところもあり、その人達が一緒に食事をするわけで、地区のメイン通りに並べられた長い、長いテーブルの列は圧巻です。
みんな地区のスカーフを首や腰に巻いてキャンドルの揺れるテーブルに座り、明日に向けて団結するのです。

で、今日の本題がこれなのです。
パリオ前日の夕食会ではありませんでしたが、パリオ開始数日前に大きな地区では交代に夕食会を開きます。
これは地区以外の人も参加でき、私とジョン・クロードは今年一緒に仕事をしたシエナ出身の運転手ジアン・カルロの招待で8月の初め、その夕食会に行ってきました。
行ったのはNicchio(貝)の地区で、夕食が開かれていたのはそこの展示館がある建物の中庭だったのですが、表からは全く想像できない大きな庭が建物を入った奥に広がっていました。

庭に入って先ず驚かされたのがやはりそこにドーンと用意された沢山のテーブルでした。
うわっ、何百人一斉に座れるのか!
食事は庭の隅の方に設置されたキッチンで作られ、それがテーブルの横に作られたセルフサービス用の小屋に運ばれてきます。
その奥の方では魚と肉を炭焼きしている煙がもうもうと上がっていました。
ここで働いている人達はみんなボランティアで、お揃いのTシャツを着て「パリオのためなら、地区のためなら」と強い心意気で楽しそうにそれぞれの与えられた役目を果たしていました。
ボランティアの子供も多く、小さい時からこうやってパリオの為にボランティアで働くことを覚えるのですから、そりゃあ身体の奥深くまで地区精神が染みこむはずだと納得。
食事はどのレストランにも負けないくらい美味いものでした。
大きなトレーで焼かれたパスタフォルノ(ラザニア)も美味しかったし、炭火で焼かれたティーボンステーキも肉が軟らかくて最高でした。

私たちが並んだのは前菜から、プリモ、セコンド、フルーツ、ワインと全て揃った小屋だったのですが、大きな庭にはパスタだけの小屋とかアイスクリームの屋台、バー、トスカーナ名物の1品だけを出す仮のオステリア等、いろいろ楽しめるように趣向を凝らしてありました。
賭のようなものもあり、17地区の模様の入ったボールを小型の滑り台のようなものの上から転がし、どの地区が(ボールが)最初に到着するかに5ユーロかけるというものです。
当たれば、生ハム1本(豚の足1本)がもらえたり、またサラミ3本とワイン3本とか、商品もつい賭心を駆られる物ばかり。
私たちも食事が終わってバーに移動しコーヒーを飲んだ後、ここで賭をやってみましたが、ジアン・カルロの友達は一回でサラミ3本とワイン3本が当たったというのに、ジョン・クロードは2回ともはずれ。
私は賭など全く当たらない人なので初めから挑戦せず。

ディスコも用意されていたのですが、夜中の12時から始まると言うことで踊れずに残念でした。
それにしてもシエナ住民でなければこんな夕食会には参加できなかったでしょうし、知ることもなかったでしょうから、招待してくれたジアン・カルロに感謝です。
ちなみに彼の地区は Chiocciola(カタツムリ)、奥さんのマリアンナは何処か忘れましたが別の地区だそうで、でも彼女はパリオの時に実家に帰ることはないそうです。
それからシエナの人々はパリオがある時期は何処にも旅行に出かけないのだとジアン・カルロが教えてくれました。
出かけてなんていられないと言うところでしょうか。

この夕食会のあと、パリオ前日の夕食会にも可能だったら招待してあげるとジアン・カルロが言ってくれたのですが、残念ながら手配するには遅すぎたようで参加できませんでした。
想像以上に地区全員が団結し熱くなるだろう雰囲気を味わって見たかったのですが、きっとその地区の人でなければその雰囲気にとけ込むのは難しいことでしょう。
でも来年チャンスがあれば行ってみたいと思っているのです。

cena di contrada siena

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