Kiyomi D,

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チヴィタ・ディ・バンニョレジオ

civita di bagnoregio

日が長くなりました。
そんなに早起きしない私なので朝は何時に日が昇るのか知りませんが(笑)、夕方は8時過ぎてからやっと薄暗くなるようになりました。
真冬は夕方4時半になると暗くなりましたから、それから3時間半も日が延びたわけです。

冬時間から夏時間に変更したためでもあるのですが、とにかく日が長くなると行動時間も長くなり、嬉しいものです。
ただ、夕方なかなか暗くならないので夕食作りをつい忘れてしまい、今まで7時過ぎには食べ始めていたのに、今はその時間から作り始めるので夕食が8時前後になり、私達もすっかりイタリアテンポにはまっています。

先週の土曜日は私の誕生日だったのですが、そのプレゼントとしてジョン・クロードが2月の日記に書いた例の「法王達のテルメ」へ連れて行ってくれました。
カラッと晴れ上がった金曜日の早朝、ラツィオを目指して家を出ました。
丁度この金曜日から復活祭が始まり、混んでいるかと心配した道路はスカスカで、これぞドライブ日和、の中を走って行きました。

テルメも温泉プールが少し混んでいたくらいで、マッサージを受ける人達用のリラックスルームなどは全く静かで、ゆっくりすることが出来ました。
それにしても、本当に若い人達が温泉にやってきます。
日本でもそうでしょうか?
子供連れの若い夫婦は勿論、恋人同士のようなカップルの多いこと。
温泉でデイトなんて・・・、なんだか健康的です。

さて、誕生日の夕食は「 美味しいレストランのガイドブック」に乗っていたと、ジョン・クロードがテルメからほど近いところに見つけてくれたレストランでした。
そのレストランがある町はとても小さな、古い町でした。
食事まで30分ほどありましたので、その町の散策をしたのですが、ぐるっ、と一周しても10分ほどの小さな町は、背の低い小さな家々がひしめき合い、その壁は砂岩で出来ているようで今にも掻き崩せそうですが、でもしっかりと人々が住んでいました。

踏みつぶされてゴムのようにひん曲がった神父の家の石の階段に驚きながら、でこぼこの石畳を歩いていると、ふっと町の向こう側に家と家の隙間に作られた鉄の柵が見えました。
きっとそこから町の外の風景が見られるのだろう、何があるんだろう、と歩いていって見た風景が、すごかったのです!
なんとこの小さな町は一つ6畳から8畳はあろうかと思われる大きな岩が集まって出来た絶壁の上に建っていたのです。

町の名前は「ヴィットキアーノ」
トスカーナの町もほとんどが丘の上に立っていますが、こういう絶壁の上という感じではありません。
この古い町の家々は、正に大きな岩の端ぎりぎりまで石を積み上げて造られていました。
今まで壊れずに人々が住んでこられたのが、すごい。
そしてこんな町を造った人々の建築知識が、又すごい。
すごいねー、なんて2人でしきりに感心したのですが、この数日後に、この辺りの町は全部こういう絶壁の上に立っていると言うことが分かりました。

2泊3日と温泉を楽しんだ後、トスカーナに帰る途中にウンブリア州があります。
そこに自分の両親が生まれた小さな町があるので行ってみるといい、と友達に言われテルメから真っ直ぐそこへ向かってみました。

町の名前は「バンニョレジオ」
そしてこの大きな町のはずれも絶壁なのでした。
更に有名なのが「チヴィタ・ディ・バンニョレジオ」と言う小さな町で、写真を見るとグランドキャニオンのような果てしない空間の中にポコンと突き出た小さな小山(と言うか土台)の上に古い町が立っています。
名前が「死んでいく町」となっており、どうも廃村のようです。

1000年ほど昔、ここで火山が爆発して出来たのがこのグランキャニオンのような地形。
火山灰などが固まってできた地形ですから、そんなに頑丈ではなく、特に、この突き出た小山の地形は地下まで緩く、1950年まで住んでいた人々は、あまりに危険なため住民全員が大きな町バンニョレジオに移されたのだそうです。

その後は全くひと気がなくなり、正にゴーストタウンとなりました。
このチヴィタ・ディ・バンニョレジオへ行くにはバンニョレジオの街から歩いていく、と説明書にあり、私達はバンニョレジオに車を残して町を横切りました。
町の端まで歩いていくと、突然その廃村チヴィタ・ディ・バンニョレジオが空間に浮かぶように見えてきました。
そしてその廃村まで行く道が高速道路のように長く続いていて、あれを歩いて登るのか、と思うと一瞬気がゆるんでしまいました。

せっかく来たのですから登らなくては話しにならない、ということで先ずはバンニョレジオの崖を降りて行き、そして今度はその余り可愛くない高速道路のような道を登っていきました。
橋の長さはいくらあるのか聞き忘れましたが、勾配も大したものです。
この高速道路のような橋を造ったのは、ただ安全に、簡単に上まで登れるようにというのが理由だったそうで、まさかこんなに旅行者が訪れるとは思わなかったと、町の人は言っていました。

廃村の中は旅行者目当てのバーやレストランがいくつかあり、丁度復活祭でもあり、旅行者で賑わっていました。
でも村は確かに廃村でした。
家々も傾き、崖の直ぐ真上にあったであろう家は、今は壁が少し残っているだけです。
バーやレストランの人達もここに住んでいるのではなく、毎日大きな町の方から通っているのだそうです。

この村に又人々が住めるように土台を強くしようと試みているのだそうですが、地形が緩い為、鉄やコンクリートの棒をしっかり支える力がなく困難を極めているとか。
いつかは完全に壊れてしまうのでしょうか・・?

廃村を後にした私達は途中、これも絶壁のある大きな土台の上に立つようなオリヴィエートの街を覗き見し、トスカーナへ向けて広々とした緑の平野を車で駆け抜けていきました。
何処までも続く緑の草原には羊が群れ、野花が咲き乱れています。
道の両端には背丈ほどもある黄色い花がアーチのように太陽に輝き、私達のドライブを祝福してくれているようでした。
ぴちぴちと鳥の声だけが聞こえ、まるで映画の中にいるようで、又今回も忘れられない誕生日となりました。
ジョン・クロードと人生に感謝です。

最後に一言。
料理はやっぱりトスカーナが一番美味しいです。

civita di bagnoregio

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