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乳がん検診

乳がんの検診に行ってきました。
イタリアのトスカーナに住み始めた時も、住民登録が完了すると乳がんや大腸がん検診の招待状が届きましたが、こちらフランスでも、住み始めてから1年と半年ほどが経った頃、乳がんと大腸ガン検診の招待が届きました。確か2~3年に一度の割合で検診が受けられるはずです。
普段は健康で何も考えずに暮らしている私たちですから、こういう風に自動的に招待(通知)が届くシステムは嬉しいです。

私がこちらで最初の乳がん検診に行ったのは去年の10月でした。
トスカーナでは招待状に検診日や時間がすでに書かれて届きましたが、フランスでは自分の都合の良い日を選べます。
検診ができる医療機関の建物は、嬉しいことに我が家から歩いて5分ほどのところにありました。
何かわからないことがあればいけないと思い、ジョン・クロードについてきてもらいました。
予約を取って行っても待つことが普通の病院や歯科医ですから、どのくらい待つのかなと思いながら待合室に座っていたところ、さほど待つこともなく私の名前が呼ばれました。
診察室に通されて、まずは、以前乳がん検診をした際の診断書はあるかと訊かれました。
イタリアのトスカーナには15年間住んで、その間、乳がん検診は5回ほどしており、その度に「異常なし」の診断書を送ってもらっており、その全てを私は保管していましたが、フランスへ移住するときになんと全部捨ててしまいました。うっかりしていました。
まぁ、しょうがない、またフランスで新しく乳がん検診の記録をつけていくことになります。

乳がん検診で行われるのがレントゲン。このレントゲンが痛いのです。
2mの高さがある機械で、真ん中あたりに乳房をはさむ台があり、そこに乳房を置いてレントゲン撮影をするわけですが、私のように小さな乳房だと簡単に台に乗ってくれなくて、看護師さんがかなり力一杯に乳房を引っ張って乗せようとします。これが痛い!
「体をあちら側に向けて胸を前に出して、手を上にあげて」、と私に指図する看護師さんもきちんとした撮影をしなければいけないので必死です。やっと乳房がなんとか台に乗ると、ウィーーーンと上下の台が乳房を挟んできます。これがまた痛い!
イタタタ・・、と私は毎回声をあげてしまいます。
そんな私に容赦なく、「はい、そのままの姿勢を保って・・」と看護師さんはレントゲンを撮影するために別の部屋へ。
間も無く、「はい、撮影しました。では次の乳房の撮影です」と、別の乳房もまた同じように引っ張られます。そして、またイタタタタ・・。
こうやって上下からの撮影が終わると、今度は、左右からの撮影です。本当に大変。
毎回、乳がん検診に行くときは、この痛さを思い出してゆうつになります。

heart

今回も、「レントゲンでは何の異常も見つかりませんでした」と看護師さんに言われて、ほっとする私!
トスカーナではここで終わりだったのですが、今回は、先生がエコー検査をするので別室に入ってくださいと言われて、えっ、なんだろう? 私の母が癌で亡くなったと言ったから、乳がんにも影響すると思って特別なテストをするのかな、なんてちょっと不安になりながらベッドに横たわって待つ私。
そこへ中年のひょろりおじさん先生がのっこり入ってきて、一言も喋らずに、おもむろに私の乳房にジェリーを塗ってエコー検査を始めました。
まずは右側、それから左側。もう一度右側。
終わると、「右側にちょっとしこりのようなものがあるので、4ヶ月後にもう一度検査に来てください」と思わぬことを。
「えっ!」と驚く私に、「ああ、心配するようなものじゃあないから。大丈夫だよ」と先生は子供をなだめるような顔に。う~ん、なんだか嫌だなぁ・・・。
検診が終わって、会計を済ませて帰ろうとした際、私は先生の言葉を思い出して、
「私、4ヶ月後に再検査に来るように先生に言われましたけど・・」
と伝えると、受付の女性が先生に内線で連絡を入れ、瞬く間に4ヶ月後の再検診が決定してしまいました。 言わなきゃよかった・・。

これが去年の10月の事でした。私はちょうどフランス語学校へ通っていた時で、毎朝、昨日の午後は何をしましたか、と先生から訊かれて、それに私たちはフランス語で答えるようになっていたので、私は乳がん検診に行き、エコー検査で小さなしこりが見つかったので4ヶ月後に再検診に行くことになりました、と発表しました。
すると、学校の先生は、「実は、私はフランス語の先生になる前は看護師だったのよ。その間、乳がん検診で小さなしこりが見つかる女性はたくさん見たけど、再検診で、ほとんどの女性は異常なしという結果が出ているの。再検診の時にしこりが大きくなっていれば病気の疑いがあるけれど、大きさが変わっていなければ大丈夫。私もしこりがあると言われて1年後に検査に行ったけど、大丈夫だったから、あなたも大丈夫よ」
と言われて、私はどれほどホッとしたことか。

それから4ヶ月後。再検診日は3月中旬でしたが、2月中旬ごろから私は不安になり始めました。ちょっとした体の体制で、両乳房がチクっと痛む時があり、ひょっとしたら私は本当に乳がんかもしれない。そして、この先あまり生きられないかもしれない・・・、なんて考えたりして、勝手に気分を落ち込ませていました。
大丈夫、大丈夫、病院の先生は心配しなくていいと言っていたし、フランス語の先生も心配いらないと言っていたではないか。そう思うようにしても、時々フッと心配が頭をかすめるのです。
そんな私の様子にジョン・クロードが気づいて、どうしたの?と訊いてくれました。
私は、「ひょっとしたら私は乳がんかもしれない、心配。ジョン・クロードを置いて先に逝ってしまうかもしれないよ」と言うと、「ハハハハ・・、そんなことはない。君は90歳まで生きるんだから」と彼は楽しそうに笑い飛ばして、そう言いました。彼は本当にそう思っているみたいです。

そうして再検診の日。私が不安になっているのを見て、再度ジョン・クロードが付いてきてくれました。先生に何か言われてそれが理解できなければジョン・クロードに助けてもらうつもりでした。
時間になり、私は馴染みのあるエコー検査室に入りベッドの上に。しばらく待つと、前回と同じおじさん先生がひょっこり入ってきました。
先生は私の前に座ると、「えっと、どっちの乳房(の再検診)だったっけ?」と。「えーっと、右側でした」と私が答えると「じゃあ、まず右側から検査しよう」とジェリーを塗ってクルクルと検査。
しばらくすると左乳房もクルクル検査。再度右側に行ってクルクル検査。私は何も見つかりませんようにと祈る気持ちでした。
長く感じたエコー検査が終わって、画面から私の方に目を向けた先生は、「異常なし!」と一声。ほ~~~っとした私。
「これで、もう再検診に来る必要はありませんね」と私が念を押すと、先生はにっこり微笑んでくれました。
ちょっと怖かったけれど、でもちゃんと再検診してよかった。

受付でもらった書類には、今回の検診の結果は「異常なし」と書かれていて、改めてホッとしましたが、念のため6ヶ月後に再検診しましょうと書かれているのを見て、ちょっと気分が沈みました。まぁ、医療機関はこんなものでしょう。でも、ジョン・クロードに言わせると私は90歳まで生きるようなので、心配しないで再検診に行ってこようと思います。
私は見かけによらず心配性で、気をつけていないとすぐに考えがネガティヴな方向に行ってしまうので、いらない心配などせず、もっと落ち着いた人間になれるよう、自分自身を見つめて、今の瞬間を大事にする毎日を過ごそうと思っています。

今日という1日を大いに楽しみましょう。